初恋相手の結婚報告がトレンド入りしてた話
時は2020年8月24日。大学生の私は夏休み真っ只中で、そりゃもう絵に書いたような昼夜逆転生活を送っていた。
そんな毎日で、まだまだ活動時間に値する午前3時。「お、そういえば」と軽い気持ちで聴いたのは世界で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENのラジオだった。あのラジオの、数々の名曲たちからは考えられない、4人が繰り広げるゆるゆるトークが好きだった。
だから、そこで私の淡い初恋が幕を閉じるなんて思っていなかった。
藤原基央「あの……結婚しました」
え??
私とBUMP OF CHICKENとの出会いは、約10年前に遡る。
当時、4つ上の兄がどこからか見つけてきたユグドラシルがいつも母親の車でかかっていた。べつに一目惚れしたわけじゃない。最初は彼らの曲に、藤くんの声に、特になんの感情も抱かなかった。
だけど、毎日のように聴いてたらいつの間にか私の生活には彼らが染み付いていた。切ない日曜日の夕方も、ウキウキしちゃう土曜日も、泣きたかった帰り道も、気付けばいつもBUMP OF CHICKENの曲たちがいた。なんだか心がキュっとなるメロディー、優しい声。兄が集めてくるCDが車内に増えていくと共に、私は彼らの虜になっていたのだ。
中学生になってようやく歌詞カードをちゃんと見ることを覚えて、そうしたらまた世界は変わった。"ギルド"や"プレゼント"や"サザンクロス"の歌詞を見る度、「なんで藤くんはこんな歌詞が書けるんだ……?」と衝撃を受けた。彼の歌詞は、誰でもわかる言葉で誰にも書けないものだった。どんなに言葉を覚えたって、私にはこんなこと書けない。藤くんの見てる世界を、私も見たいと思った。
思春期と、BUMP OF CHICKEN。もうお分かりですね。満を持して、この辺りからわたしのいわゆるBUMP黒歴史が着実に積み上げられていくことになるのだ…。
とりあえず、地元のTSUTAYAでアルバムをひとつ残らず集めた。彼らが1ページでも載っている雑誌は全て買った。YouTubeでMVを見ては少女漫画よろしく目を輝かせ、真夜中に歌詞カードをめくっては泣いた。ニコニコ動画で隠しトラックを使った音MAD動画を見漁った。学校の放送でBUMPの曲をかけまくり(当時は放送委員が昼に流す曲の実権を握っていた)、机に"真っ赤な空を見ただろうか"の歌詞を掘り、提出するノートに授業と全く関係ない"分別奮闘記"の歌詞を書き連ねた。藤原姓になりたくて同じ学校の藤原をマークしたり、メンバーの中で誰の苗字がいちばん自分の名前に合うか真剣に考えたり……
もう勘弁してください……。今思えばおぞましい記憶の数々である。でもあの日々の中で、私は確かに幸せで、BUMPのファンであることに一丁前に誇りを持っていたのだ。これだから愛ってやつは恐ろしい。
もちろん今もBUMP OF CHICKENのことは大好きだけど、それでもあの盲目オタクだった頃よりはだいぶ落ち着いたと思う。未だに絵を描いたり夜中に藤くんの書く歌詞を称えるツイートを連投したりしてるけど。(これも気持ち悪いと言われてしまったらもう立ち直れません)
あの頃みたいな、遭遇するなら藤原基央、付き合うなら藤原基央、結婚するなら藤原基央、寝ても冷めても藤原基央、みたいな気持ちはもうない。まあ、当時だってべつに本気で結婚願望があったわけではないんだろうけど……
でも、今回の藤くんの結婚報告を目の当たりにして、本気で動揺した自分がいた。動揺して3時間Twitterにはりついて散々騒ぎ、朝日が昇った頃にはなぜか外に出てひたすら歩いていた。登校中の学生に見られながら部屋着姿で歩いて、すっかり藤原基央の4文字に占領された小さい脳を回した。どうして悲しいんだろう?わたしを幸せにしてくれた大好きな人、そんな人の幸せは何よりも願わなきゃいけないはずなのに。一生メンバーとクリスマスを過ごし続けそうだった藤くんが、綾波レイに本気で恋していたあの藤くんが結婚だなんて、こんなに喜ばしいことはないのに。ダラダラに汗をかきながらなぜか半泣きで歩いて、そしたら彼らにどっぷりハマったばかりの頃を思い出したのだった。
あの結婚報告が現実味を帯びて、嬉しいよりも悲しいの気持ちの方が大きいことを知った時、記憶の底にいたあの日のわたしが見えた気がした。なかったことにするか嘲笑うかしか出来なかったあの時代の自分にちょっぴり泣けた。なあ中学生のわたし、聞いてくれよ。藤原基央が結婚したぞ。まあそう落ち込むなよ、トントンと上手くいかぬのがLOVEでござるよ。
藤くんに捧げた初恋はこんな形で散っていったけれど、もちろんこの一連の報告で彼らに対する見方が変わったなんてことはない。これからもBUMPの4人が大好きだし、いくつもの曲たちはずっとわたしの太陽で、消えない灯火で、胸まで届く流れ星であることに変わりはない。
わたしはまだまだ彼らの音楽に救われていたいのだ。こんなわたしだって、もう少し大人になったら、きっと素直に「おめでとう」って言えるはずだから。
楽しい記憶はどんどん上書きされていくが辛い過去はしっかり名前をつけて保存されているこの人間の脳みその理不尽さよ
ライブキッズ(この呼び方クソダサいけど私のような邦ロック厨高校生を総称できる手軽な名詞がこれしかないので妥協しておく)には、「現場」が必要不可欠である。
植物の発芽に必要なのが光と水と適当な温度(小学校理科)であるように、ライブキッズに必要なものはスマホとゴリゴリ原色ディッキと現場なのだ。ライブキッズから現場をとったら何も残らない。NO現場NOライブキッズ……ということで私がライブに行くのは生きるために仕方が無いこと。私はライブを経て初めてこの世界に立っていられるのだ。…なーんて!まぁ行きたいから行くだけなんだけどね!!!!ウォッホ!!!!wwwwwwwwww(よく言われますがコカインはやってないです)
前説が長すぎた。Re:Re:(アジカン)のイントロもびっくりの長さである。
キュウソネコカミ DMCC REAL ONEMAN TOUR 2019 in 青森quarter
お申し込みいただいた以下のチケットのご用意ができたのでお知らせいたします。
という無機質な字面を見、修学旅行inシンガポールのナイトビュッフェで「の゛あぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」とマキシマムザ亮くんよろしくデスボを響かせ英語の先生に苦笑いされてから早6ヶ月、遂にこの時が来た、キュウソネコカミギリ平成ツアーである。
3月9日(別名:流れる季節の真ん中でふと日の長さを感じる日)の高橋優ライブから時は過ぎて3月末、ライブ2日前にしてようやく私は昨夏ぶりにキュウソに会えると実感し震えるなどした挙句、ついに当日を迎える。
いつも画面上で見ている人物を目の前にすると(バーチャルじゃなかったんだ…本当に私と同じ空の下で生きていたんだ…)等と吐くように泣いてしまうような人間なので、その日は朝からしっかりと心の準備を__起きたら12:30だった。
母の持っていた贅沢保湿ティッシュは謎のミント香料入りであった
同行者である母(キュウソで一番好きな曲はギラギラおじさんらしい)に呆れられながらも10分で支度をして家を出る。
津軽SAでカツカレーを食べながら向かいに座る母のTシャツにデカデカと居座るネズミくんを見て、(そうか……本当に今日がキュウソネコカミのライブなんだ…)と実感しむせる。
しかし正直この時はまだ平静であった。ギリ平静だった。おもしろ!
俺らの青春は青森quarterに詰まっているのだ、まぁ2回しか行ったことないけど
目的地の青森quarterは目の当たりにした母が「えっ本当にここ?倉庫じゃん!!w」と言い放つほどの小さなライブハウスである。本当に小さいから一度見てみてほしい。いや別に見なくてもいい。
無事目的地に着いたということで物販に並ぶ。「いや〜楽しみだなァ!」なんて意気揚々と話していた…けど…あれ、なんか寒くない…?心なしか風も強くなってきた気がするんだけど……
いやめっちゃ吹雪!!!!マジで大寒波!!!
誰だ雪が綺麗と笑うのは君がいいとかほざいた奴は。誰だ冬が寒くって本当によかった、君の冷えた左手を僕の右ポケットにお招きするためのこの上ない程の理由になるからとかほざいた奴は。青森の寒さなめんな卍と清水さんと藤くんに念を送ったところで、私の順番が来た。
物販の綺麗なお姉さんにドギマギしながら何とかお目当てのものを購入。コミュ力を使い果たしました。(アイワナビーユアフレンド)
ちなみにガチャは3回やってワッペンと付箋と首から下げる紐(名前わからん)だった。か〜わいい!!!
春休みとは名ばかりのものでこの辺の桜は大抵運動会頃に満開を迎える
さぁ物販も買えたことだし、開場時間までまだまだ時間はある!この辺の観光でもするぞ〜(^_-)-☆と意気込んでいた私、現地の吹雪で心が折れる。
※ちなみにライブ前日までは完全に春の陽気であった。なんだこの裏切られた感は…
仕方が無いので近くのインスタ映えっぽい(インスタ映えがどういうものなのかイマイチ分かっていない)建物で時間を潰すことにした。
外は大荒れ、海鳴りだけが響く青森で、キュウソファンは暇を持て余して寒空の下をうろついている。
あと数時間でキュウソのライブが始まるというのに、私と母の頭の中には津軽海峡冬景色が延々と流れていたのであった。
限界オタク、本番が近づくと出演者より緊張し出す というのはあるあるなのでは無かろうか
人間の細胞ガチャを回して赤血球のキーホルダーをGETし喜ぶなどしていたら、あっという間に時間はすぎた。まだまだ外は大荒れなのでギリ開場時間に間に合うように会場に向かう。
言い忘れていたが今回のライブ、なんと整理番号が1桁である。
まじで奇跡。今まで整番どころかチケ運の時点でクソゴミ伝説を作り上げてきた私が、なんと整番1桁!!!!??だから吹雪だったのか、と今これを書いていて気付いた。#ありがとうはてなブログ
余裕で最前(ヨコタさんとタクロウ君の真ん中あたり)を確保し、前の柵を短い間だけどよろしくな…!と言わんばかりに抱きとめる。ありがとう柵。柵を掴める日がくるなんて思ってなかった…感涙である。(ちなみにこの後この柵に胸を潰される)
もうすぐ始まる。この時点で私の脳は既にキャパオーバーで円周率を数える他なかったが、よく考えたら円周率を全然知らなかった。さすが文系だ。
ライブで一番人間が気にすること、それは多分「本番中にトイレ行きたくなったらどうしよう…」ってこと
母と打首獄門同好会の新曲は好きだがトウモロコシは嫌いだ、みたいな話をしてたらライブが始まった。
最高だった。一瞬だった。泣いて笑って脳みそ振ってたらおわった。
「ラスト1曲です!」とセイヤが言った時、私は「いやいや冗談キツイってwww」等と余裕をかましていたが、周りの反応を見て徐々に(あれ…これほんまのやつか…?)と悟り始めた。いやいや無理だって!!!!まだ始まったばっかじゃん!!!まだピタゴラスイッチミニくらいの時間しかやってないって!!!等という心の叫びは誰にも届かない。アンコールはあったものの、あえなくライブは終了した。
内容があまりにも濃かったのでメンバーとの思い出♡だけまとめておく。
・セイヤもう少しのとこで触れなかった。でもかわいいからOKです(親指をたてる)
・ヨコタさんとタクロウ君とめっちゃ目合った。この人たちが本物の天使か…みたいな笑顔を見せてくれた。
・馬乗りマウンティングオカザワ君が頭にタオルのせていたことで世界に平和が訪れた。ノーベル賞。
・ソゴウタイスケが生きてた 愛してる
やっぱり私にレポの才能はない。
十河泰輔が好きだ、という見出しにしておいて十河泰輔の事は一切語っていない
ライブ後は終わってしまった……という喪失感とドバドバに放出されたアドレナリンと汗と涙でごちゃごちゃになりながら2軒目のオッサンみたいな足取りでコーラ片手に会場を出た。
あ〜終わっちゃったけど幸せだ!たのしかった!みんな可愛かった!帰ったらセトリでプレイリスト作って余韻に浸ろ〜!!と幸せオーラを身に纏いながら外に出
いや寒!!!!!!!!!!雪えぐ!!!!!!!!!!!!
あまりの寒さに一瞬我に返った。まじで目の前がホワイトアウト(リグレットガールではない)したからもしかして幸せすぎて死んだかな…なんて思ったけど普通に雪だった。だから雪が綺麗とか笑ってる暇じゃねぇんだよ!!!
まぁ、今回のライブは雪に腹を立てたり雪に腹を立てたりしたがキュウソネコカミの皆に会えて死ぬほどたのしい2時間半を過ごせたので良しとしよう。
これでやっと私も春に向けて発芽できそうだ……と思ったけれどやっぱり寒いのは腹が立つので人間にも適当な温度というものは必要不可欠なのかもしれない。
己の行動に意義を見出せなければ命を紡ぐ事がただの苦行と化してしまう
平成のど真ん中に生まれ落ち、17年間命を紡いできた私の人生は、まだまだハードルだらけである。
例えばそれは、今から風呂に入ることであったり、風呂で自身の頭や体を洗うことであったり、風呂上がりに自身の髪を乾かすことであったり…。上げていけばキリがない。つまり総括すると風呂に入るのがめんどくさいという事になる。
簡潔に申し上げよう。つまりはそう、風呂に入りたくないってことだ。誤解されたくないので言っておくが、風呂自体は好きだ。温泉なんて毎日入りたいレベル、風呂と共に生き風呂と共に死にたい(でも風呂の中でぽっくりは嫌だ。全裸だもん)。しかしそれまでの過程、特に風呂に入る決心をしてベッドから起き上がる…みたいなSTEP1、Lv1のミッションが果たせない。
毎日毎日、やっとの思いでベッドから降り立ち風呂場に向かうという苦行を繰り返すだけの日々。生活に変化も求めず、ただこの世に生を受けた時から決められた常識を守るだけの人生。時折こんな日々に疑問を感じてしまうのもおかしくはないと思う。
私の人生とは、訳も分からずみんながやってる事を真似ることで初めて得られる他からの人間としての承認を求めるだけの無意義な時間なのか。本当に私はこのまま、意義も見出せず皆に合わせることばかりに必死になって老いてゆく、なんて人生を歩んでいていいのか。そう思ってしまうのも仕方が無いことではないか。
風呂なんて、一日入らなかったぐらいなんてことない。そう思う。現に某東〇オンエアの某リーダー、某小〇津〇也なんて全く風呂と縁のない(知らんけど)生活を送っているだろうに、彼の率いる東海オ〇エアは登録者が400万人を超えるほどの大人気YouTuberである。つまり400万人以上もの人間達が、風呂に入らない男がうんこを漏らしたりちんちんを晒したりしている動画でアヒアヒ笑っているのである。つまりは少しくらい風呂なんか入らなくたって人間は大勢から承認される可能性を十分に持っているということではないか。
そう、事実、大丈夫なのだ。この世界では少しくらい歯磨きや風呂といった『植え付けられた常識』から逃れていても、普通に人間として生きていけるのだ。そんなことを小〇津徹〇はYouTubeを通して教えてくれたのかもしれない。
まぁでも私はうんこを漏らす成人になんてなりたくないので、今日も自分を奮い立たせ風呂に入る。